山口地方裁判所下関支部 昭和36年(ワ)290号 判決 1963年12月24日
原告 有富純造
被告 構内タクシー株式会社
主文
被告は原告に対し金六四万三、六四四円及びこれに対する昭和三三年一一月一五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。
この判決は第一項に限り、原告において保証として金一〇万円またはこれに相当する有価証券を供託するときは仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金一五〇万円及びこれに対する昭和三三年一一月一五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。
一、被告は下関市においてタクシー業を営む会社である。
二、原告は昭和三三年一一月一五日午後七時二〇分頃下関市新町三丁目電車停留所の手前約一〇メートル附近車道左側において洋傘をさして歩行中、被告会社の従業員で、その業務のため被告所有の小型自動四輪車(山五あ〇九五五号)を運転し、同市唐戸町唐戸桟橋前から同市豊町に向け、電車軌道左側車道を時速約三五キロメートルで進行してきた訴外山本彦輔に、同車の左側方向指示灯及びウインドの左角を衝突され、路上に顛倒させられたため、頭蓋底骨折、前額部及び側頭部切創の重傷を受け、その場から直ちに附近の佐島病院に運ばれて同三四年二月二八日迄入院加療したが記憶力が極度に悪くなり、右眼は殆んど失明に近く、光を感ずるのみとなり、左眼も視力〇、三に低下してその矯正は不能となり、単独の外出は困難となつた。
右事故は当時烈しい降雨のため視界を遮られ、前方及び左右の見透しが十分でない状況にあつたから、このような場合自動車の運転者としては特に進路前方及び左右を注視し、適宜警音器を吹鳴して減速、徐行する等の措置を講じて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、そのままの速度で慢然と進行した過失に基くものである。
三、原告は山口師範学校を卒業後教員を経て大洋漁業株式会社に勤務していたが同社を退職後、習字の塾を経営し、月収四万円を得ていたが右事故により習字の教授能力を全く失い、右収入は皆無となつた。
四、被告はタクシー営業のため運転者として訴外山本彦輔を使用していたが右彦輔はその業務の執行中に原告に右負傷を与えたものであるから、民法第七一五条及び自動車損害賠償保障法の規定により原告の被つた損害を賠償する責任がある。
五、原告は被告に対して左の損害賠償を求める。
(1) 昭和三三年一二月一日より向後三年間の休業による損害として金一〇〇万円。
原告の習字教授による月収四万円から必要経費(習字教授のための交通費及び教材費等)として月額五、〇〇〇円を控除した残額三万五、〇〇〇円の三年間分として金一二六万円。但し原告は本件により損害賠償責任保険金として二万円を受取つているからこれから右金額を控除して金一二四万円となるが本訴においてはその内金一〇〇万円を請求する。
(2) 慰藉料金五〇万円
原告は本件事故以前は通常の健康体であつたが負傷の結果前記の如く不完全な身体となり、働く能力を失つたため生計の資を断たれ、その後は長女が下関魚市場に勤務して得る月額金一万円で辛うじて生命を繋ぐ悲惨な有様となり、一家の柱石たる責任を果すことができず今後生きている限りこの精神上の苦痛は消え去ることはない。これは本件負傷の結果であるから金五〇万円の慰藉料の支払いを求める。
六、よつて請求の趣旨記載の金員の支払いを求めるため本訴請求に及んだ。
被告の抗弁に対して次のとおり答弁した。
被告が原告のため病院費その他雑費合計金一三万二、六七三円を支出したことは認める。但し本訴請求金額は被告が支出した金額を控除したものである。又責任保険金についても前記のとおり控除済みである。
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。
一、請求原因第一項は認める。第二項中訴外山本彦輔の運転する自動車が原告に衝突したことは認めるが、その余の事実は争う。
第三項以下は全部否認する。
二、仮に被告に責任があるとしても(1)、原告には本件係争の被告会社自動車との衝突以外にも昭和二八年七月二二日午後五時五〇分頃下関市長府町松原附近において木村タクシー株式会社の自動車に衝突し、その事故のため同日以降同年一〇月九日まで長府町佐伯病院及び下関市笹山町喜多整形外科に入院治療し、その間同市上田眼科医院にも、又その後同市丸山町吉岡整骨院にも通院加療したことがあるから、原告には生来道路通行に関する不注意の性格がうかがわれ、本件においても原告の不注意が事故の最大の原因となつているから過失相殺を主張する。(2)、被告は本件事故により原告のために病院費用及び付添人費用その他雑費として合計金一三万二、六七三円を支出し、又原告は自動車損害賠償責任保険金として金二万円を受領している。
立証(省略)
理由
一、被告は下関市においてタクシー業を営む会社であり、訴外山本彦輔の運転する自動車が原告に衝突したこと、被告は本件事故により原告のために病院費用及び付添人費用その他雑費として合計金一三万二、六七三円を支出していること、原告が本件事故により自動車損害責任保険金として金二万円を受領していることは当事者間に争がない。
二、よつて、まず、右衝突の際の状況及び訴外山本彦輔の過失の有無について検討する。成立に争のない甲第五乃至七号証及び、第三者の作成に係り弁論の全趣旨によつて当裁判所が真正に成立したと認める甲第一乃至三号証、証人有富達子、同森王琢の証言によれば、原告は昭和三三年一一月一五日午後七時二〇分頃下関市豊前田町の井上方に習字指導に赴くため、同市新町三丁目電車停留所から唐戸方面へ約一〇メートル隔つた車道左側の地点を洋傘をさして歩行中、被告の小型自動四輪車(山五あ〇九五五号)に乗客三名を乗せて同市唐戸棧橋前から同市豊町に向けて電車軌道左側車道を時速三五キロメートルで進行してきた訴外山本彦輔に同車の左側方向指示灯及びウインドの左角を衝突されてその場に顛倒させられ、因つて昭和三三年一一月一五日から同三四年二月二八日まで入院加療を要する頭蓋底骨折、前額部及び側頭部切創の傷害を受け、その結果右眼は視束萎縮を来して視力は光を感ずる程度となり、左眼も、〇、三の視力になり、記憶力も極度に悪くなつて習字教授能力を失つたこと及び、訴外山本彦輔は右事故当時暗夜で烈しい降雨のため視界を遮られ、前方及び左右の見透しが不十分な状況にあつたのに減速、徐行及び警音器を吹鳴する等の措置を講じていなかつたことが認められる。ところでこのような場合、自動車運転者たる者は特に進路前方及び左右を注視し、適宜警音器を吹鳴し、減速、徐行等して横断者がある場合にはいつでも間髪を入れず停車できるような態勢を整えて進行し、事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、訴外山本彦輔は右義務を怠り、不注意にも左側に対する注視を怠り、そのままの速度で漫然と進行した過失により本件事故を惹起せしめたものと認められる。
三、次に成立に争のない甲第七号証及び証人山本彦輔の証言によれば訴外山本彦輔は本件事故約半年前から被告会社に自動車運転者として雇われ、事故当時はその営業のため被告所有の小型自動四輪車(山五あ〇九五五号)に乗客三名を乗せて下関市唐戸町唐戸棧橋前から同市豊町に向けで運行中の出来事であることが認められるから、右事故は訴外山本彦輔が被告会社の事業の執行につき原告に加えた不法行為であり、従つて被告は訴外山本彦輔の原告に加えた右不法行為に対し損害賠償をなすべき責任がある。
四、次に原告が右事故により被つた損害額について検討する。
(1) まず、原告は右事故当時習字の教授をして月収四万円を得ていた旨主張し、証人有富達子の証言の一部及び証人品川キミ子の証言及び弁論の全趣旨によれば、本件事故発生当時原告は自宅外四個所に教場を持ち、相当数の弟子に習字を教え、一人当り月四〇〇円の教授料を受領していたこと及び、それに有富一家の生計状態を勘案し、尠くとも月収一万円を下らざる収入があつたと認めるのを相当とするところ、右収入から原告が損害額の中控除すべきものとして自認する一個月の必要経費(習字教授のための交通費及び教材費)五、〇〇〇円を控除すると、原告は尠くとも当時月額五、〇〇〇円を下らざる純収益を得ていたものということができる。右認定に反する証人有富達子の証言部分は措信しない。而して証人有富達子の証言及び弁論の全趣旨により認められる原告の当時の健康状態及びその仕事の性質、家族関係を勘案すると、原告は昭和三三年一二月一日以降なお、三年間は習字教授に従事し得るものと認められるからこれによると、原告は合計金一八万円の得べかりし利益を喪失したことになるのでこれから年五分の割合による中間利息をホフマン式計算によつて控除し、本件事故発生の日の金額にすると、金一六万三、六四四円になるが、右金額より原告が受領済の自動車損害賠償保険金二万円を控除すると、金一四万三、六四四円となる。
ところで被告は、原告に金一三万二、六七三円を支払つたからこれを差引くべき旨主張するが、右金員は被告も自認するとおり原告の本件事故による病院費用及び付添人費用その他雑費として支払われたものであり、成立に争いのない乙第一乃至三号証によれば、右金員が原告の本件事故により生じた病院費用及び付添人費用その他諸雑費に充てられていることが認められ、原告は被告に対し本訴において右費用の支払いを請求していないことは明白であるから被告の右主張は理由がない。
(2) 次に慰藉料の点についてみるに、真正に成立したと認められる甲第一乃至三号証及び成立に争のない甲第五乃至八号証人有富達子、同森王琢の証言及び弁論の全趣旨により認められる当事者双方の職業、原告の家族関係、収入、資産関係、負傷の部位、程度等の諸般の事情を考慮すると原告本件事故により被つた慰藉料の額は金五〇万円相当であると認められる。
(3) ところで、被告は、原告には本件事故以前にも昭和二八年七月二二日午後五時五〇分頃下関市長府町松原附近において木村タクシー株式会社の自動車に衝突したことがあるから原告には生来道路進行に関する不注意の性格が窺われ、本件においても原告の不注意が事故の最大の原因になつているとして過失相殺を主張し、原告は右衝突事故の発生については明らかに争わないけれども、かえつて一度交通事故に遭遇した者は、その後道路進行に対して一層慎重に行動するのが一般であることからして、原告が以前に交通事故に遭遇しているからといつて、直ちに本件において原告に不注意があつたとは推断し難い。またその他本件事故発生について原告に普通通行人の払うべき注意を欠いたものとして特に斟酌すべき過失があつたものとは認めるに足る証拠はない。よつて、被告の右過失相殺の主張は理由がない。
以上により、被告は原告に対し合計金六四万三、六四四円及びこれに対する昭和三三年一一月一五日により完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。よつて原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条、第八九条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 福浦喜代治 天野正義 松田光正)